スピエンヌの新石器時代の火打石採掘地

スピエンヌの新石器時代の火打石採掘地(ひうちいしさいくつち)は、ベルギーのエノー州にある石灰岩地帯で、ユネスコの世界遺産のひとつである。
採掘は紀元前4000年ころにはじまり、紀元前750年頃に終わった。採掘の井戸は深さ15メートルほどまで掘られ、地下採掘坑内の面積は100ヘクタールに及ぶものである。しかし、それは時が来るまで埋もれていた。

発見されたのは19世紀のことである。鉄道敷設中に古代の採掘跡の最初の痕跡が発見された。これはベルギーのみならずヨーロッパでも最初のものであり、ミヒェルスベルク文化期の村落も発見された。

ヴィクトル・オルタ

「建築家ヴィクトル・オルタの主な都市邸宅群」は、ベルギーの首都ブリュッセルにあるユネスコ世界遺産のひとつ。建築家ヴィクトル・オルタは19世紀末から20世紀初頭にアール・ヌーヴォーと建築を見事に融合させた人物で、当時ブリュッセルで活動したアール・ヌーヴォー建築家たちの中心的な存在であった。彼の手がけた邸宅は数多かったが、世界遺産に登録された4件には、彼の革新性がよくあらわれている。

当時のブリュッセルの住宅は、入り口は常に正面横にあり、側面の廊下が長く伸びていた。この廊下に面した3つの部屋のうち、真ん中にあった部屋は光が差し込まず、暗いものであった。これに対してオルタは、部屋の配置を工夫してガラスを効果的に利用することで、邸内に光をうまく取り込んだ。また、材質には鉄、ガラスなどを好んで用い、デザイン的には曲線を多用することで、美しい内部空間を演出した。

ブリュッヘ歴史地区

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「ブリュッヘ歴史地区」は、ベルギーの古都ブルッヘ(ブリュージュ)の中心市街のユネスコ世界遺産としての登録名。対象区域内には、他の二つの世界遺産(「フランドル地方のベギン会修道院群」「ベルギーとフランスの鐘楼群」)に登録されている物件も包含している。

ブリュッヘは中世には一大貿易拠点として繁栄した。その後、経済上の重要性を失って衰退したことで、かえってヘントなどに比べて中世の面影を残す町並みが多く残っている。市街の随所に幅の狭い運河が通じ、赤煉瓦の家屋の並ぶ美しい町並みは「天井のない美術館」とも称され、スウェーデンの首都ストックホルム同様に「北のヴェネツィア」の異称もある。中世以来の町並みの中には、ヨーロッパで最も高い煉瓦建築物である122mの尖塔を抱える聖母大聖堂が含まれており、市街の外れには風車と中世以来の城門も見られる。こうした町並みの美しさが、世界遺産の登録に当たっては評価された。

ブリュッヘは47の鐘からなる鐘楼でも有名である(これは別件の世界遺産「ベルギーとフランスの鐘楼群」に含まれている)。市はいまなお定期的な無料の「コンサート」のために専門のカリヨン(組鐘)演奏者を雇っている。

同時にブリュッヘは、その歴史的町並みのなかで優れた芸術を育んできた。フランドル派のハンス・メムリンクなどはブリュッヘで活躍した画家として有名である。このメムリンクやヤン・ファン・エイクの作品はメムリンク美術館をはじめとする市内の美術館に収蔵されている。世界遺産の登録に当たっては、こうした芸術を育んだ歴史性も評価された。

ベルギーとフランスの鐘楼群

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「ベルギーとフランスの鐘楼群」(ベルギーとフランスのしょうろうぐん)は、ユネスコの世界遺産のひとつ。ベルギー、フランス両国合わせて56の鐘楼が登録されている。

ユネスコは1999年に「フランドル地方とワロン地方の鐘楼群」(Belfries of Flanders and Wallonia)として32の鐘楼を登録していた。2005年にワロン地方のガンブルー(Gembloux, ワロン語 Djiblou)の鐘楼に加え、フランスのノール=パ・ド・カレー地域圏、ピカルディー地域圏の23の鐘楼までもが追加されたことによって、現在の名称へと変更された。なお、逆にブリュッセル市庁舎の鐘楼は登録解除された。これはブリュッセルのグラン=プラスが既に登録され、市庁舎の鐘楼はそちらに包含されると見なされたためである。

サントル運河の4つのリフト

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ベルギー王国エノー州のラ・ルヴィエールとル・ルーにあるサントル運河の4つのリフトは、水力式のボート・リフトで、1998年にユネスコの世界遺産に登録された。

サントル運河には、ムーズ川とエスコー川のそれぞれのドックを連絡している7kmの水位に、66.2メートルの高低差が存在する。この難問をクリアするために、Houdeng-Goegnies には15.4メートルのリフトが1888年に開設され、16.93メートルの他の3つのリフトも1917年に開かれた。

エレベーターは二重になっており、2つの垂直に移動するタンクもしくは潜函が鉄柱によって中央に配置されている。二つの柱は水圧式でつながれており、一方が下がるともう一方が上がるようになっている。また、重量も釣り合いが取れるようになっている。

こうしたリフトは19世紀末葉から20世紀初頭にかけて8基建造されたが、世界遺産に登録された4基は、建造当時のままで稼動しているものである。

2002年からは高低差73mの昇降が可能という世界最大級のストレピ=ティウ・ボート・リフトが完成したため、商業的な運行はそちらが使われるようになった。このため、世界遺産の4基の稼動は、娯楽用の限定的なものになっている。